生きながら生まれ変わる―米良美一物語

「DON!」(日本テレビ系)「きょうは何の日」、本日のテーマは1971年5月21日「米良美一さんの誕生日」。
高音の男声・カウンターテナーの歌手として活躍する米良さん―その生い立ちに迫る。
美一少年は幼い頃から「先天性骨形成不全症」という難病が原因で、何度も骨折していたという。
そんなわけで。7歳から親元を離れ、宮崎市にある全寮制の養護学校に通った。
母親に会えない寂しさを紛らわすように、歌を歌ったりオルガンを触ったりして過ごしていた。
やがて通常の小学校にも行けるようになったが「骨曲がり」と言われ、いじめられていたという。
・第一の影響:松田聖子
そんな美一少年の辛い日々を慰めたのは、病床で聴く松田聖子さんの歌だった。
聖子さんの歌を裏声で真似して歌っていた事が、現在の高音の声が出るようになった原点だという。
今も聖子さんの大ファン(たまに音楽番組などで、ものまねしている)。
音楽の道に進むことを決意した美一さんのために、両親は苦労して働いた。そして蓄えたお金で美一さんを
洗足学園音楽大学へ進学させた。
そこで担当の教授に「カウンターテナーを歌ってみてはどうか」と勧められたのが転機となった。
・森の木霊(コダマ)のような歌
米良さんは大学を首席で卒業し、各種コンテストで入賞。CDデビューを果たす。
そんな彼の歌声をラジオで聴いて「自分の作品の主題歌に起用したい」と思った映画監督が居た―
そう、スタジオジブリ宮崎駿さんである。
1997年公開の「もののけ姫」のテーマソングを歌い、映画のヒットとともに米良さんの名は世間に知れ渡った。
確かに。最初に“あの歌”を聞いた時「男の人が歌ってるのか?女の人が歌ってるのか?」と気になりました。
聴く者を惹きつけてやまぬ声です。
・第二の影響:美輪明宏
その後一時的にスランプに陥ったが、その時期に米良さんは美輪明宏さんの「ヨイトマケの歌」に出会う―
自分の病気の治療費や進学費用のため、苦労して働いてくれた母の姿を思い出した米良さんは、美輪さんに
「『ヨイトマケの歌』を歌わせて下さい」と直談判したという。
米良さんの生い立ちを聞いた美輪さんは、申し出を快諾。「こういう人生を送って来た人が歌うと、
私が歌うのとはまた違った歌になるかもしれない」。
美輪さんの期待に応え、米良さんは「ヨイトマケの歌」を見事に歌い上げる。
そしてそれまで隠していた己の生い立ちを表に出し、スランプからも脱却した。
・デジタル音源の世の中で、今じゃあ僕はテナー歌手
2003年ぐらいだったか、米良さんが日本テレビ系「24時間テレビ」で日曜の昼間に「ヨイトマケの歌」を
歌っているのを聴いたことがある。
美輪さんがシャンソン風に歌う「ヨイトマケの歌」とは違い、米良さんのは(声こそ若いが)力強さがある。
何よりも実体験に基づいているので、胸に迫るものがあるのだ。
・方言丸出し!隣県バトル
最近の米良さんは歌手としての活動の他、バラエティー番組でもご活躍。
地元・宮崎県の観光人気上昇に伴い、旅番組などにも呼ばれるようになった。
高田純次さんの「爆笑テキトー旅行社・高田トラベル」(中京テレビ/日本テレビ系)での
「宮崎県の案内人」米良さんと「鹿児島県の案内人」国生さゆりさんのバトルは面白かった。
自叙伝のタイトルが「天使の声〜生きながら生まれ変わる」(大和書房・刊)というのですが。
人間「生きながら生まれ変わる」ことって、できるんですね。