“ブレービー&ネッピー”元阪急・島野修さん死去

元阪急ブレーブスの投手で、現役引退後に球団マスコット「ブレービー」のスーツアクター(=中の人)として活躍された
島野修さんが亡くなっていたことがわかった。
享年59。近年、糖尿病を患っておられたそうで。
・日本球界初、ではないが
島野さんは神奈川・武相高校時代、夏の甲子園に2年連続出場。1968年(昭和43年)秋のドラフト1位で巨人に入団
(当時同じく巨人のドラフト指名が有力視されていた明治大学星野仙一投手が「『島』と『星』を間違えてないか?」と
言った、というのは有名な話で)。
活躍を期待されたが、故障もあって成績が振るわず阪急にトレードされた。その後も才能を開花できず、現役引退。
退団した後に球団幹部から打診された身の振り方が
「大リーグのスタジアムに居るような“ぬいぐるみ”の中の人にならないか?」という話。
最初はさすがに断るつもりだったが、サンディエゴ・パドレスゆるキャラ「ザ・チキン(フェイマスチキン)」の
ビデオを見せられて、島野さんは引き受ける決心をしたという。
・「ドラ1は出世しない」説
こうして1981年(昭和56年)4月、西宮球場に太っちょな黄色い鳥のゆるキャラ「ブレービー」が登場した。
最初の頃は、着ぐるみを被って道化を演じる仕事をバカにする人の方が多かった。
「巨人のドラフト1位のピッチャーだったのに、落ちぶれたな」と蔑まれた
(1980年代後半ぐらいまで「ブレービー=ドラフト1位のなれの果て」の代名詞のようにいわれることもあった)。
阪急電車のエンブレムが懐かしい
そんなことを言われて落ち込んでいたある日、試合終了後。球場近くの飲み屋で、観戦帰りの親子連れが話している声が
聞こえてきた。
「ブレービー面白かったな!また球場に見に行こうな!」子供ファンが喜んでいるのを見て、島野さんは感激。
この仕事に誇りを持ち続けることができたという。一所懸命やってれば、必ず評価されるのです。
小学生ぐらいの頃、ワテも野球に興味があったわけではなかったけど、ブレービーくん可愛いから好きだったよ。
・「中の人」を超えて「魂」へ
その後、阪急ブレーブスオリックスブレーブスとなり、ブレービーは引退。「ネッピー」に選手交代したが、
スーツアクターは島野さんが引き継いでいた。
バギーで転倒して骨折しながらも試合に出場し続けるというプロ根性を見せ、1998年まで活躍されていた。
子供が好きだという島野さん曰く「着ぐるみの中に居る時も、笑顔で居るんですよ。そうしないと、キャラクターも
笑ってるように見えない」。そこが子供たちの人気を集めた秘密だったのか。
・あればいいのに。ありますか?
やがて各球団にブレービー&ネッピーの“お仲間(ライバル?)”となるキャラクターが登場。野球のみならず、
スポーツチームの試合会場には欠かせない存在となっていった。
その道を切り開いたのは、島野さんに他ならない。ご冥福をお祈りするとともに、感謝の気持ちを捧げます。
ちなみにフェイマスチキンくんは、アメリカで「キャラクター名誉の殿堂」入りを果たしている―
日本にも「ゆるキャラの殿堂」があればいいのに。そして真っ先に、ブレービーくんを讃えるべきだ。