生きることさえイヤですか

今週のNHK連続テレビ小説「だんだん」。ツッコミどころ満載です。
2000年10月。めぐみちゃん(三倉茉奈)と、のぞみ@夢花さん(三倉佳奈)は、自分たちが双子であることを知ってしまった。
そもそも、松江の忠さん(吉田栄作)と京都の真喜子@花雪さん(石田ひかり)が、どうやって出会ったのか?
そして姉妹と両親は、何故離れ離れになってしまったのか?その謎が、今週明かされました。
・顔はそっくりでも、すぐわかる
双子の出生の秘密を隠そうとする大人たちの思惑などお構いなしに、縁結びの糸はそれぞれを引き寄せる。
「こうなったら、とことん知るしかおまへん」。
夢花さんが計画した“とりかえばや作戦”でお互い入れ替わり、祇園と松江それぞれの“本当の親”に会った
めぐみちゃんと夢花さん。
余計なことを言うと正体がバレるので、それぞれ「おおきに」と「だんだん」としか返事ができない(笑)。
態度がぎこちない“偽夢花”と、漁船の乗り降りが上手くできない“偽めぐみ”―
花雪さんも忠さんも、それぞれが“生き別れた方の娘”であることを一発で見抜いた。
17年半ぶりに会っためぐみちゃんに花雪さんが、のぞみちゃんに忠さんが、それぞれ過去のことを打ち明ける。
・1963年(昭和38年)生まれ
忠さんは中学卒業後、プロボクサーになるため大阪へ。アルバイトをしながらボクシングジムに通い、17歳でプロテストに合格。
西日本新人王にもなり、順調に成長していた。
1981年8月16日。18歳の忠さんは先輩と京都に遊びに来た折、祇園で舞妓時代の花雪さんと知り合ったのである―
花雪さんがピンクの薄(すすき)のかんざしを落としてしまい、それを忠さんが拾ったのである(誰かさんの時みたいに)。
ピンクの薄を装備していたということは・・・花雪さんも18歳未満だったのだろう。
二人は恋に落ち、それぞれの両親の反対を押し切って結婚。忠さんはボクシングを辞め、アルバイトで生計を立てることになった。
それにしても。中学生〜20歳前後の頃のシーンを、今現在の吉田さん&ひかりさん本人でやるのも無理があるなー、と。
・一番幸せだった頃
出会った日から1年後の、1982年8月16日。二人の間に双子の女の子が生まれ、姉はめぐみ、妹はのぞみと名付けられた
(これまでの行動から、めぐみちゃんや石橋さんは「夢花さんがお姉さん」だと思っていたのだが・・・妹だったのね)。
その頃の真喜子さんは、子守唄代わりに「赤いスイートピー」を歌っていた―その記憶を、姉妹は失っていなかったのだ。
・ひとりっ子でも大変なのに
しかし、現実は厳しかった。真喜子さんは一度に二人の子供を世話しなければならず、育児疲れで心身ともグッタリ。
忠さんは昼も夜も働いているが、家族を支えるのは厳しい。家で寝ている真喜子さんに当たり散らすようになった。
20歳にもならない若い夫婦が子供を持つということは、およそ「子供が子供を作る」ようなもので。
ちなみに現在は、多胎児(双子、三つ子、四つ子、五つ子)を育てる親御さんたちを支援するボランティア組織
「ツインマザースクラブ」というのがあるのだそうで(「ふたごでバンザイ」の写真提供元ですね)。
・泣いてなかったらどうなってた
半年後。結局2人は離婚することになった。双子をどちらが育てるかで揉めたが・・・久乃さん(藤村志保)の提案で
「ひとりずつ育てる」ことになった。
その時たまたま、のぞみちゃんが泣き声をあげた。真喜子さんが抱き上げたのをきっかけに、そのまま引き取られた・・・
というわけだ。そんなことだったのか(笑)。
・一縷(いちる)の望み
これ以降、元夫婦は「もう一生会わない」つもりで居たのだが。姉妹を引き裂いた時点で、17年後に再会する運命が
決まったのかも知れない―双子には(真喜子さんが言うところの)“引かれ合う魂”があるもので。
なおかつ。元夫婦にも(その時は)、どこかで「またやり直せたら」という思いがあったのかも知れない(忠さんは
離婚直後に再婚したが)。
京都と松江の周囲の人々も、もう姉妹の過去を隠し通せないと覚悟した。
パンドラの箱の蓋は、ついに全開になった。次週、封印されていた災いが噴き出す!?