高価な玩具と呼ばれたハード

「ハードのエースが出てこない」最後に登場するのは・・・ぴゅう太(旧トミー工業=現タカラトミー)!
1982年に発売された、16ビット「ホビーコンピュータ」。基本的には“ゲーム専用ハードウェア”ではありません。
パソコンが「マイコン」と呼ばれていた時代。日本語表記の「G-BASIC」なる言語でお絵描きやゲームプログラムを作れる、
子供向けコンピューター(今で言うキッズパソコン?)でありました。
・説明書が分厚い
我々世代の子供たち(で、コンピューターに興味のあった奴)にとっては垂涎の的、憧れのマシンでした。
標準小売価格は59800円。「価格を抑える」ため、キーボードがプラスチックじゃなくゴムで出来てるんですね。
「こんだけデカくて16ビット?」と有野さん。昔(8ビットファミコン登場以前)はそれでもスゴかったのよ!
ゲームプログラムを作る(そして動かす)ことに限れば、当時の通常のパソコンより優れていたという説も。
・それぞれの本性
毎度お馴染み技術の須田ちゃんが、すぐに接続完了。空き箱も片付けて「ハコぐらいハコびます」。駄洒落やー!
最終回にして、須田ちゃんの本性が出たー(笑)!
構成作家・岐部さんの案内で、ゲーム用ROMカセットを取り出して、遊んでみる(ゲーム用コントローラー小っちゃ!)。
まずは「トラフィックジャム」(1982年、同)。
迷路のような街中を車で進んでいくカーアクションなのだが、地味な作業なので
「有野さんの性格に合っているような気もしますけどね」と岐部さん。その通り、有野さんは無言でハマってました。
・こんなソフトあったのね
続いて「スクランブル」(1982年、コナミ)。「グラディウス」の原点っぽい横スクロールシューティング。
でもコントローラーが小さいので、どうも脇をしめて持ってる感じが「格好が良くない」。
「コレで死んだら、ちょっと俺のプライドが・・・みたいな感じなんかな」といいつつ、あっさりやられる。
最後のソフトも、不甲斐ない結果に。「相変わらずダメですね、シューティングは」。
・最後に
「今まで6回『ハード』をやって来たと思うんですが『いちばん“エース”に近かったハード』は?」
「意外に良かったのは、この『ぴゅう太』やね」と有野さん。でも「コレ、今5万円言うたら絶対買わへんよ」。
そりゃーそうでしょー!今どき、低価格のパソコンでもそれ以上のことが出来ますよ。
・期待してたんだけど
有野課長としては「最終回までに、1回ぐらい『バーチャルボーイ』(1995年、任天堂)来ると思ったんですけど
読みが外れました」。・・・あれは“話題性”では不動のエースですやろ(笑)。
個人的には、このコーナーでATARIのハードも取り上げて欲しかったなー。

隠れた名機「マイナーハード」
それはゲームを愛する人々の記憶に、しっかりと刻まれている・・・。

「ハードのエースが出てこない」おわり