神戸の空へ

先日亡くなった祖母の四十九日法要のため、兵庫県に帰省する。
早朝5時半起床。ご主人様は徹夜仕事から帰って来たばかりで、ちょうど寝たところらしい。
目を覚ましてから召し上がっていただけるように・・・保温鍋に昨晩煮たおでん、炊飯釜に御飯、
おやつにミスタードーナツといった食糧類を置いて、家を出る。
・名古屋から岡山まで各駅停車
先週オープンした「神戸空港マリンエア」が使えるかな?と思ったら。
名古屋(県営名古屋空港中部国際空港)発着便は無い!・・・まあ、飛行機使うまでも無い距離か。
というわけで。金券屋で格安こだま・ひかり自由席券を買って、新幹線ひかりに乗る。
最近のぞみの本数が増え、名古屋〜新大阪間ならひかりもこだまも変わらなくなった。
・家族とは
新大阪駅で降りてから、コンコースにある「ジューサー・バー」でマンゴージュースなど飲んでひと休み。
その後、神戸市内にある父の実家に到着。予定時間の11時より早く親族が全員集合し、お坊さんも到着。
四十九日法要が始まる。お経をあげる前に、お坊さんからありがたいお話をいただいた。
故人は生涯にわたり、家族のみならず近所の人々にも慕われていたことに触れ「人間、亡くなる時に
『この人と一緒でよかった、この家族でよかった』と言える人生にしたいものです」。
確かに。生きてる間も、日々感謝の気持ちを忘れたらいかん。
・あと5分耐えたかった
そして読経が始まり、参列者が順番に焼香する。
長時間の正座は、足が痺(しび)れるのでキツいが・・・それ以上にキツいのは、折からの体調不良である。
お経がもう少しで終わるという時に、喘息発作炸裂!足のシビレどころではない
(お坊さんをはじめ、列席の皆様にはご迷惑をおかけしました)。
・ぼちぼち墓地へ
読経と焼香が終わった後、墓地へ移動。
天気予報では雨とか雪とかいう話だったのだが、今日は快晴。故人は生前、晴れ女だったもので。
そしていよいよ、骨壷をお墓に納める−墓石の下の納骨スペースは、結構広い。
28年前に先立っている祖父の骨壷の隣に、祖母の骨壷が置かれた。
「いずれ(親族が)入るときのために、よく見ておくように」と駄メイド実父。これぞ終の棲家。
・小洒落た店、再び
法要終了後は故人が時々来ていたという創作和食の店で、精進落としの昼食。
叔母が予約の際、不祝儀の宴であることをお店に告げたら「おめでたい食材はお出ししませんので・・・」と
言われたらしい。“おめでたい食材”って、鯛とかのことだろうか。
「天寿を全うしたのだから、本当はおめでたいんだけど」と叔母。
そして出てきたのが、鰯(いわし)御飯、ままかりの酢漬け、寒鰆(かんさわら)の香り焼き、
ノレソレ(アナゴの稚魚)などなど。
鯛じゃなくても、贅沢な膳である。焼酎や日本酒の品揃えもいい。
・その他業務
遺族の当面の悩みは・・・
−「『遺産を巡る骨肉の争い』ですか!?」
いや、そんなテレビドラマみたいな展開は無いそうで。ホッとしたような、ガッカリしたような(ぉぃ)。
残されたものは現金とかじゃなくて、故人が女学校時代から描きためた「絵」!
今後、叔母は絵をデジカメで撮影して、ファイルをパソコンに入れ込む作業に追われるらしい。
また、命日が1月11日ということで、来年の一周忌法要は正月休みに営まれることになりそうだ。
それなら遠方の親戚も集まりやすいし。
・持って帰れ!
法事がお開きになった後。援助物資(米やら自家製味噌やら)を受け取るため、駄メイド実家へ移動。
駄メイドは空のキャリーバッグを持ってきていたので、それを見た実兄が
「日帰りなのに、なんでそんなデカいカバン持ってきてるの?」と呆れていたが(^_^;)
そこに米10kgと味噌5kg、梅干1kgに生ラーメン4食分、お菓子などなどを詰め込む。
夜。そのまま晩飯をよばれた後、新幹線(と、その後の名古屋市営地下鉄乗り換え)の時間があるので
早々にお暇(いとま)。
23時半、ダメ家最寄り駅に到着。ご主人様に車のお迎えを要請する。
家に帰ると・・・用意した食糧はきれいに完食されていた。その食器類を片付け、
慌しい1日が終わった。