昭和プロレスのスター、ラッシャー木村さん死去

かつて全日本プロレスなどで活躍したレスラー、ラッシャー木村さんが亡くなられた。享年68。
2004年に現役引退、その後はプロレスリング・ノアの終身名誉選手会長だった。
でも実はその現役引退宣言(ビデオレター)の後に脳梗塞で倒れ、車椅子生活をしていたという。
・当時の相撲は別格だった
木村さんの格闘技人生の最初は大相撲。「プロレスラーになるための基礎体力作り」のために相撲部屋に入門。
素質があったが「幕内に昇進したら辞められなくなる」と、幕内昇進を前にして脱走・廃業。
今だったら力士を廃業してもプロレスに行く道はあるのですが・・・。
・元祖金網ファイター
その後、日本プロレス東京プロレスを経て国際プロレスに移籍。そこで「日本初の」金網デスマッチに参戦、
「金網の鬼」の異名をとる。
国際プロレス解散後、アニマル浜口さん、寺西勇さんとともに新日本プロレスに参戦。「はぐれ国際軍団」と呼ばれる。
それからUWFを経て、全日本プロレスに移籍。ジャイアント馬場さんのタッグパートナーとなる。
その馬場御大の死後は、全日本プロレスの内紛が激化。プロレスリング・ノアの立ち上げに携わり移籍。
流転のプロレス人生でありました。
・笑わせるつもりは無いのだけど
木村さんといえば、やっぱり「マイクパフォーマンス」。
当初、他の選手たちは嫌がっていたが・・・観客に大受けし、全日本プロレスの名物に。
ビートたけしさんが登場時にする「こんばんは。○○です」という慇懃な挨拶は、木村さんの新日本プロレス乱入時の
パフォーマンスが元ネタ。
木村さん本人は「丁寧に挨拶してるのに、なんで笑われなきゃいかんのだ」と怒っていた(ごもっとも)。
このキャラクターが幸いし、バラエティー番組やテレビドラマからも出演依頼が来るようになった。
・翌週の「ザ・サンデーNEXT」で特集
その他、
「馬場ぁ!お前最近なんか元気だと思ったら!このヤロー!やっぱりな!お前は!ジャイアントコーン食ってるな!」
(馬場さんが「グリコジャイアントコーン」のCMに出ていた頃の話)
なかなか結婚しない渕正信さんを「渕選手 お前は早く 嫁もらえ」などといじったり(笑)。
後に“義兄弟の契り”を結んで“兄貴”と呼ぶようになった馬場さんに、加山雄三さんの「君といつまでも」の
セリフ部分の真似で
「幸せだなあー!俺は兄貴と居る時が一番幸せなんだ。俺は死ぬまで兄貴を離さないぞ!いいだろ!」なんてのもありました。
リング上ではヒール役をやる期間が長かったけど、素では実直な人だったんだろうなあ・・・と思う。ご冥福をお祈りします。