みんなゲーム好き

フジテレビ721chのゲーム情報番組『ゲームセンター「CX」スペシャル』が放送された。
今まで「主任」だった、よゐこ有野晋哉が「課長代理」に昇格していた(笑)。
・それはゲーム同人誌から始まった
ポケットモンスター」の作者であるクリエイター・田尻智氏にロングインタビュー。
国立工業高専在学中に、ゲーム攻略同人誌「ゲームフリーク」を作って売っていた田尻さんは
1989年に株式会社ゲームフリークを設立。ファミコン用アクションゲーム「クインティ」(ナムコ)でデビュー。
その後「ヨッシーのたまご」「ポケットモンスター」(ともに任天堂)と、続々ヒット作を生み出す。
・苦節7年
ポケモン」第一作が発売されたのは1996年だが、企画はそのまた7年前「クインティ」発表直後の頃
(ちょうどゲームボーイが発売された頃と重なる)からあった。
イデアを練りに練って、キャラクターを「社内人気投票」で厳選したという。
そして時代は流れ、世間で「ゲームボーイはもう売れない」と言われかけた頃に「ポケモン」完成。
「携帯できる」「通信できる」という機能を生かして何か出来る、という田尻さんの予感は当たった。
ドラクエの影響
ポケモンを捕獲・育成するという作業は、田尻氏が幼い頃夢中になった「虫捕り」の思い出がルーツ。
ポケモンを交換するという遊び方は、田尻氏が「『ドラゴンクエスト2』のレアアイテム『ふしぎなぼうし』を、
他人から貰えたらいいのに・・・」と考えたのが発端だったらしい(笑)。
・32歳のデビュー戦
有野自身もポケモンを育成し、大会イベント「ポケモンリーグ トリプルビート」に出場することになった。
「小学生以下の部」と「中学生以上の部」があったが、彼は初心者なのでジュニア扱いで小学生以下の部に出場。
「小学生相手なら勝てるやろ」と踏んでいた有野だが・・・ポケモンバトルに年齢は関係ないですよ(^_^;)。
案の定、小学生3人と対戦して3連敗。大会に出るなら、もっとポケモンについて勉強しましょう。
・懐かしゲーム紀行
有野は箱根の温泉宿を何軒か回り、古めかしいゲーム筐体を探す旅に出た。温泉旅番組っぽい映像が流れる。
使い込まれて塗装のはげた「テトリス」があったり、ミサイルが撃てない「ギャプラス」(ナムコ)があったり(^_^;)。
その他「タイムパイロット」(コナミ)や「1943」(カプコン)を置いているところも。
・「思わぬゲームにハマってしまうのも、温泉ならでは・・・」
また、ビデオゲームではないが「はっぴーぴえろDream rail2」(NMK)などのプライズ(景品が出てくる)ゲームで
「景品とれるまでやる!」と、アツくなったり。
スタッフは夜な夜な、ボードゲーム大会で盛り上がっていたらしい。
有野「みんなゲーム好きやなー」。
「次回は伊豆を旅します」・・・って。次回あるのか?おい!
・少年の挑戦
そして「有野の挑戦」。4月放送分で失敗したミッション「スーパーマリオブラザーズ2」クリアを達成すべく
「攻略できる人」を募ったところ・・・「天才少年」だという、兵庫県姫路市の秋田君がやってきた。
有野が何度やってもダメだった、ワールド8−2のゴールに通じる“つる出し”を一発クリア。
そして最終面8−4まで来たとき、秋田少年は有野に聞いた。

秋田「有野さん、これワープしましたか?」
有野「したよ」
秋田「・・・」(リセットボタンを押す)
有野「何すんの!」
秋田「ワープ使わずにクリアしよう、と(今思った)」
有野「勝手に消すなよー」

ワープゾーン無しで最終面に行くなんて無理だ・・・と、誰もが思った。が!不可能を可能にするのが、天才少年たる所以で。
秋田少年はその他にも、あらゆる難所をすいすいと超えていく。あなた何者なんですか(汗)。
あっという間に最終面8−4、クッパ大王の眼前へ!そこで有野にバトンを渡す。
そしてめでたく、「スーパーマリオブラザーズ2」クリア!念願のエンディング画面を見た。
でもその直後に存在する「ワールド9」で、あっさりやられて終わる有野であった・・・。